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天正年間(16世紀終わり)に越中国(富山県)砺波郷増山に岌台上人が龍宝山往生院如来寺を創建する。岌台上人の出生については、不明であるが天正18年11月29日(1590年)に亡くなられる。

その後、慶長14年(1609)増上より富山県高岡市の二上山麓に移り数年の後、加賀国金沢の卯辰山麓に移転する。明暦2年の後(1656)前田光高(4代藩主)の夫人清泰院(水戸光圀の姉)が亡くなられ、その後御位牌所として、現在地に約8,000坪の領地を賜った。

寛文2年(1662)当山7世、中興心誉上人の代に前田綱紀(5代藩主)から更に寺領200石(40,000坪)を賜り、堂及び庫裡一切を建立し荘厳な伽藍が完成した。ここ加越能三国の浄土宗寺院の触頭となった。しかし、享保3年(1718)4月6日小立野亀坂からの火災により伽藍は、すべて焼失し、その後約100年間再興の機会に恵まれなかった。

しかし、文化10年(1813)前田斎広(金龍公12代藩主)によって現在の御堂が再建されたのは、当山17代中興倫上人の代である。以後当時の面影がそのままである。天井が高く広々とした造りは、江戸後期の寺院建築の重要な遺構であり、浄土宗寺院本堂の典型的な姿である。
現在は、石仏公園や墓所の整備もされ、宗派にこだわらない解放された寺院として地域にとけ込んだ活発な活動を展開している。



平成21年9月27日 鐘楼落慶式挙行されました。




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